プロフィール

ほそのわかこ

・リフレクソロジスト(日本リフレクソロジスト養成学院ディプロマ取得)
・ソウルコーチ
・SWIHA登録トウリーディングティ―チャー
・三重県生まれ、三重県育ち、東京在住

 

40歳でリフレクソロジーと出会いおうちサロン開業。

サロンは7年目に入りリピーターも多く、
なかなか予約が取れないサロンと言われるまでに。

プロ講師としての学びを経て、リフレクソロジー講座も開催。

リフレクソロジーにとどまらず、
コーチング、トウリーディングを学び、肉体レベルからだけでなく
ココロや魂レベルからのアプローチで本当の癒しを
伝え続けている。

あらたに、日本にトウリーディングを広めるため
日本ではまだ数少ないトウリーディングティーチャーとしての
活動にも力を入れている。

ご提供中のサービス一覧はこちらから

 

プライベートプロフィ―ル

・三重県生まれ、三重県育ち、東京在住
・短大卒業後、大手都市銀行勤務
・当時は適齢期と言われた20代半ばで結婚。寿退社。
・29歳で長男を出産。4年後長女を出産。
・現在、主人、私、長男(高3)、長女(中2)で練馬区在住

 

何の疑いもなく順風満帆な幸せな人生を送っていた!?

あらためて、自分のプロフィ―ルを見返すと
これまでの私の人生は、世間的には順風満帆な人生に映るのでは
ないでしょうか?
私自身、何の疑いもなく自然な流れで、順風満帆な人生を送れている、
と、思っていました。

 

気付いてしまった私

でも、ある時、気が付いてしまったのです。
私は、順風満帆な人生を送るために、つまりは波風を起こさないように
人生の選択をしていた、ということを!!

☆それにはきちんと理由があったのです。(そちらは後半で)

 

私が後回しにしていたもの、それは・・・。

そこに気づくと、勉強をして短大に行ったのも、
世間的に聞こえが良い大手都市銀行に就職したのも、
適齢期に結婚したのも、30歳までに初産を経験したのも、
『親が喜ぶから、世間体がいいから、常識的に』を優先して
人生の選択をしていたのです。
その選択に、私の『want』『like』は後回しでした。

 

このままの人生はいやだ!

はっきり言って驚愕しました。
私の『want』は?
私の『like』は?
と聞いても、長年、『親、世間体、常識』を優先して
生きてきたので
自分は何が欲しいのか、自分は何が好きなのか
がわからない状態になっていました。
私は、この状態のまま自分の人生を送りたくないと思いました。
自分の欲しいもの、好きなものが明確で
『私はこれが欲しい!』
『私はこれが好き!』
と言える人生が送りたい!と思いました。

 

 

動き出した私の人生。40歳の私

そこから私の人生は少しずつ動き出しました。
というよりも、私自身が動き出しました。

40歳で人生で初めて
『私はこれを仕事にしたい!』と思うものに出会いました。
それが『リフレクソロジー』
自分の『want』と『like』を優先する行動は私を活き活きとさせました。
エネルギーが自分に巡るのを感じました。

 

必然の出会いと流れがやってきた

40歳でリフレクソロジーを学びその後
自宅サロンオープン。

施術だけでなく、コミュニケーション(話す事)でも
緊張をほぐすお手伝いがしたい、の想いから
コーチングを学びました。

そして、必然の流れのように出会ったのが
トウリーディングでした。
トウリーディングは別名『ソウルコーチング』。
つまりは足を通して行うコーチング。

 

『want 』と『like 』のある人生

『リフレクソロジー』『コーチング』『トウリーディング』

私の『want』と『like』が集結したのです。

誰かの人生を生きていた私が、今、自分の人生を生きています。

私は足を通して、『自分を労う。自分の声を聞く。自分を愛おしむ。』ことの大切さを
伝え続けます。
これからも、私の『want』と『like』を追求しながら・・・。

現在は、
トウリーディングティ―チャー
トウリーダー(ソウルコーチ)
リフレクソロジスト
各種講座講師

として活動中。

足を通じて、たくさんの方に出会えるのを楽しみにしています。

 

ここまでお読みいただいたのなら
私の過去にもお付き合いください。

☆そこにはきちんと理由があった!

『親、世間体、常識的』を優先して人生の選択をせざるを得ないわけは
トウリーディングによって、過去を振り返ることで明確になっていきました。

 

生後10か月にしてお姉ちゃんになった私

私は長女。そして、ぴったり10カ月違いの弟がいます。
私は、物心ついたころにはすでに、
「お姉ちゃんだから、我慢して。」「お姉ちゃんだから、頑張れるよね。」と
常に言われていました。そして、我慢すると、頑張ると、親は喜んでくれたのです。

小さい頃は親が全て。親という世界に住んでいます。
私の人生という歴史に『親のために』『親が○○すると喜ぶ』が刻み込まれました。

 

私ではなく『母の娘』で生きていた思春期

母親は、なんでもそつなくこなす人でした。そして小さい頃から勉強もできて
地元(田舎ですが)では『神童』と呼ばれていたそうです。(今では良い感じに抜けて
笑い話になりますが・・・)。
さらに、人からも好かれ人気者でした。
いつも周りに人がいて、ひとり占めできずに寂しいと感じていました。

思春期になると、その母の娘、ということで「○○ちゃん(母)の娘さんだったら
勉強はできるんだろうね。」「○○ちゃんの娘さんだから、しっかりしてるんだろうね。」
の世間の声から、イメージ通りの『○○ちゃんの娘』であらねばと、
『○○ちゃん(母)の娘』を生きるようになりました。

この頃、私の中に『お母さんに恥をかかせてはいけない。』
『世間のイメージ通りの私でいなくてはならない。』
といったルールができてしまったようです。

 

暗黒の高校時代。崩壊した私

そして、とうとう私は高校で崩壊しました。
いわゆる、人生の暗黒時代です。
高校2年生の時。食事が摂れなくなりました。ガリガリになりました。
いわゆる拒食症です。
今になれば、「本当の私を見て!」「そのまんまの私を愛して。」のサインだったことに
気づきます。
そして、あの時私ができた唯一の反抗だったのかもしれません。

でも、当時の私、そして家族は『極端なダイエット』と捉え、そしてそこでもまた私は
『親、世間体、常識的』を優先し、自分のサインをなかったことにし、
自分で何とか解決し、何もなかったことのように拒食症を克服し、
見た目は普通に戻りました。
(見た目は普通ですが、ココロの中は暗黒のままでした)

そんな人生の歴史を刻みながら、成長し、短大進学、就職、結婚、に至りました。

 

いつも泣いていたもう一人の私

順風満帆に見える人生を送る私の中には、常にもう一人の私がいました。
その自分はいつも泣いていました。

これが私の過去。
「いつも笑ってるね~。」「なんの悩みもないでしょ。」「いいねいつも幸せそうで。」
そう言われる私と共に、内にはいつも泣いている私がそばにいました。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

こんな過去があります。
自分を無視し続けていたら・・・。今頃どうなっていたでしょう。
泣いている自分を人生最後の日まで
放置して独りぼっちにさせていたかもしれません。

足から自分の声を聞くお手伝いをこれからの人生で私はしていきます。
一緒に、自分の『want』と『like』を思い出しましょう。
人生は誰かに作ってもらうのでなく、自分で作るものなのです。